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元々は工業デザイナーであり、現在では霊感タレントとしても有名な人物「稲川淳二」。そんな彼が語る、数多い怪談話の中でも、群を抜いて長く、また自ら「最も恐ろしい話」として挙げるものに「生き人形」という話がある。今では、彼自身も「あまり、話したくはない」と語っており、タブー扱いとされている、この「生き人形」とは、一体どんな話なのだろうか?
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「生き人形」の詳細と解説

「生き人形」という話は、稲川淳二が実際に体験したという怪談話であり、彼の代表的な怪談の一つとされているものである。それは、彼の数ある怪談話の中でも、群を抜いて長く、また「現在も進行中である」と語られている、彼の怪談話の中でも異例の話である。彼は、自らの著書の中で「自分の恐い話ランキング」の1位として、この話を挙げている。しかし、過去に彼がこの話をテレビなどで語った際に、様々な怪奇現象が起きたことから、現在では、彼自身も「あまり、話したくはない」と語っている。1999年のある講演では、「この話について語ると、『どこからが怪談話であり、どこからが現実なのか』という話になってしまう」とも語っている。

「生き人形」の内容

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この話はとても長く、また人によっては心霊現象や祟りに遭遇するとされているため、注意して読んでいただきたい。

1978年6月、稲川淳二は日本放送による、深夜のラジオ番組の仕事をしていた。その日は前半を先に録音し、後半を生で行うという形で番組が収録されることになっていたのだ。

録音が始まるまでの間、ソファーに座っていた稲川は、大声で泣いている男の声を聞く。「一体、何が起きてるんだ?」稲川が廊下に出てみると、そこには、二人の男性がそれぞれ離れた場所にいた。片方の男性は「南こうせつ」であり、彼はうずくまって声を上げて泣いていた。そして、南をなだめているのが、稲川の知り合いであるディレクターだった。南はフォークグループ「かぐや姫」の解散コンサートを録音した音源に、「私にも聞かせて」という不可解な少女の声が入っているということを聞き、泣いていたのだ。恐らく、その声の主は、南がラジオの放送で知り合った少女だった。彼女は、楽しみにしていた南のコンサートの前に、病気で亡くなってしまっていたのだ。そして、南はその声の主が誰か気付いたため、悲しくなって泣いてしまっていたのだった。

真夜中、稲川のラジオ番組は無事に終了した。南のことがあったからか、ディレクターが一人で帰るのは恐いからと稲川を待っていた。そして、稲川はそのディレクターとタクシーを拾って帰宅することになった。

帰宅中、後ろの席に座る稲川は、高速道路で奇妙なものを目撃する。それは、一見すると道路標識のように思えた。「高速道路に標識?」稲川が不思議に思っていると、再び前方に同じものが現れ、それが標識ではないことに気付いて恐怖する。そこには、着物を着た小さな女の子が、高速道路の壁の上に立っていたのである。稲川が、それが女の子であることに気付くと同時に、その女の子は急に膨らみ、物凄い勢いで車の中を突き抜けて行ったという。稲川は突然の出来事に、声一つ上げることができなかった。何故か、その時に女の子を見たのは、彼一人だけだった。

翌朝、稲川の奥さんが、妙なことを言い始める。「昨日、泊られた方はどうしたの?」昨夜、稲川の自宅前でタクシーから降りたのは、稲川一人だけだったため、当然部屋に入ったのも彼だけである。しかし、稲川の奥さんは、彼の後を付いて入ってきた人の足音を絶対に聞いたと言い張るのだった。そして、それが一晩中歩き回っていたため、うるさかったのだという。

翌日の午後、稲川に仕事の依頼が舞い込んだ。それは、人形芝居「呪女十夜」という、不幸な女たちの十夜を、オムニバス形式で構成した舞台に関するものだった。その不幸な女を人形が演じ、その他の登場人物は、人間が演じるというのである。そして、稲川はこの舞台の座長を務めることになった。打ち合わせの時、稲川は有名な人形使いの前野博という人物から、現在製作中である人形の絵を見せられて驚く。そこに描かれている絵は、あの高速道路で見た女の子にそっくりだったのだ。

台本がもう少しで出来上がるという頃、前野の自宅に完成した人形が届いた。稲川は台本の打ち合わせを兼ねて、前野宅にその人形を見に行くことになる。芝居で使う人形は二体あり、一体が男の子の人形、もう一体が女の子の人形だった。その二体の人形は、有名な人形作家「橋本三郎」によって作られたものであるという。稲川は前野宅で出来上がった人形を見て、おかしなことに気付いた。女の子の人形の右手と右足がねじれていたのだ。稲川がどうして直さないのかと前野に訊ねると、前野は「直したくても、直せない」のだと言う。実は、この人形を作った橋本は、この人形を完成させた直後に行方不明になっていたのだ。

翌日、この人形芝居の台本を書いていた作家の自宅が、原因不明の火災によって全焼してしまい、舞台稽古初日までに台本が間に合わなくなってしまう。そのため、止むを得ずに劇団員は、壊れた人形と台本無しという状態で舞台稽古を始めるのだった。そして、人形使いの前野の従兄弟が変死し、それを知らせる電話が掛かってきた頃から、この人形芝居の関係者に次々と怪奇現象が起こり始める。舞台衣装の入ったカバンやタンスに何故か水が溜っていたり、突然カツラが燃え始めたり、右手・右足を怪我をする人などが続出し始めたのだ。

何とか、「呪女十夜」の公演初日を迎えるが、公演開始の数時間前に、出演者が次々に倒れてしまう。彼らは喋ることはできるのだが、身体が金縛りのようになってしまい、全く動かなくなってしまったのだ。そのため、公演初日は昼と夜の二回公演を予定していたのだが、昼の公演は中止となった。「とにかく、お札を集めて貼ってみよう」関係者は近くの神社やお寺を回り、様々な種類のお札を手に入れ、控え室などに貼ってみた。そのお札の効果があったのか、夜の部の公演を始めることができた。

しかし、公演中にも次々に怪奇現象が起こる。人形が目元から涙を流し、そこにはいるはずのない黒子が現れ、突然人形の右手が吹き飛んだりしたのだ。出演者は、パニックに陥りそうになりながらも演技を続け、人形を棺桶に入れるというラストシーンがやってきた。その時、棺桶に人形を入れた途端、底が抜けてしまい、人形の首・腕・足が千切れてしまう。そして、ドライアイスを焚いたような白い煙が舞台一面に広がり、夏であるにも関わらず、開場は謎の冷気に包まれた。劇団員は、様々な怪奇現象に恐怖しながらも、決められた最終日まで舞台公演を続け、何とか全ての公演日数を終了することができた。もう、二度とこの劇はしたくないと全ての劇団員が思っていた。当然、稲川も同じ気持ちだったという。

その後、最終公演を終え、打ち上げをしている劇団員に、劇場側からとんでもない依頼が入る。それは、次にこの劇場で行う予定となっていた舞台が、突然中止となってしまったため、追加公演をしてくれないかというものだった。無論、出演者と関係者は全員反対したのだが、人形使いの前野による強い希望により、追加公演をすることになった。前野の父が急死したのは、その翌日のことである。

舞台が無事に終了し、それから数ヶ月経った頃、TBSのワイドショー番組「3時にあいましょう」の番組スタッフが、この一連の騒動を聞きつけ、怪奇シリーズとして番組を製作して放送することになった。舞台の終了後、人形使いの前野が、あの人形を保管していたのだが、番組撮影のために人形を持って現れた前野は、少し様子がおかしかったという。前野は、その人形に向かって、まるで生きている女の子を前にしたかのように話し掛けていたのだ。

そして、この番組の収録でも怪奇現象が起こる。番組リハーサル中に照明用のライトが落下し、生放送中には人形の後ろに吊り上げられていたカーテンが、突然切れて被さり、女性スタッフは恐怖で泣き出してしまい、番組はまともに収録が進まなかった。その後、この番組の関係者の中から、怪我をする人が続出し、この番組の関係者は、次々とテレビ局を辞めていったのだという。

さらにテレビ東京の番組スタッフがこの話を聞きつけ、心霊番組を作るために、それまで行方不明になっていた人形作家の橋本を見付け出した。現在、橋本は京都の山奥で仏像を彫っているということだった。稲川は前回のことがあったため、この番組には協力したくはなかったのだが、長い間、行方不明になっていた橋本が見つかったということもあり、仕方無くこの番組への出演を承諾する。

番組スタッフは、橋本に会ってインタビューを撮影しようと京都へと向かうが、インタビュアーの小松方正との間で手違いがあり、京都で会えなくなってしまい、また番組スタッフもバラバラになったため、結局インタビューは撮影されなかった。日を改めて、今度は番組スタッフだけでインタビューを撮りに行くことになったが、今度はディレクターの奥さんが、原因不明の病気で顔が腫れあがったり、切符を手配した人の子供が交通事故に遭ったり、不幸な出来事が立て続けに起こる。番組スタッフは気味悪がったのだが、とにかく番組を完成させるために、稲川を収録スタジオへと呼び、インタビューを撮影をすることになった。

しかし、稲川のインタビューを撮影しようとした時、カメラが次々に壊れてしまう。最後の3台目のカメラが壊れたため、仕方なく16mmフィルムのカメラで撮影を始める。「これは、ある人形にまつわる話で…」と稲川が語り始めると、本番中にも関わらず、収録スタジオ内にドアを思い切り叩き続ける音が響き渡った。番組スタッフがドアを開けるが、そこには人は誰もおらず、京都での取材でかなりの制作費がかかっていたが、これは本当に危険だということになり、結局、この番組は制作中止になってしまう。今でも、この時の映像は、テレビ東京の倉庫に眠っているのだという。

ここまで来ると、流石に稲川自身も恐ろしくなり、問題の人形を持って、知り合いの霊能者に相談に行くことにする。「何か嫌な予感がします。あまり、見たくないですね」と言う霊能者に、布に包んだままでいいのでと無理に頼み込み、霊視してもらうのだが、布に包まれた人形を見せた途端、霊能者の顔色が変わる。「稲川さん、この人形を何に使ったんですか?この人形は生きてますよ。たくさんの女の怨念が憑いている」稲川から舞台の内容を聞かされた霊能者は、「あなた、そんなことをやったらダメに決まっている」と声を荒げ、人形に憑いている霊の中でも、一番怨念が強いのは、太平洋戦争の終盤の東京・赤坂にある料亭の女の子の霊であり、その子は空襲で被弾し、右手・右足を失っているということを明かした。稲川は、霊能者から対になっている男の子の人形があることも視られていたことに驚く。そして、「下手に拝むと襲われる。いいですね、必ず寺に納めるんですよ」と人形を寺へ納めるように忠告を受ける。

しかし、その後、すぐにその霊能者は謎の死を遂げてしまうのだった…。

「生き人形」の現在

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現在、「生き人形」の所在は明らかになっていない。それは、元々の持ち主であった人形使いの前野博の自宅が、原因不明の火災によって焼失し、その時、彼は逃げ遅れたために焼死してしまったからである。一説では、「生き人形」が置かれていた人形部屋は火災から免れ、現在は東京都吉祥寺で占い師をしている大原三千家という人物が「生き人形」を所有しているとされているが、詳しいことは解っていない。

管理人から一言

怖い、怖い、怖い、怖い、怖い…。