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「ディアトロフ峠事件」とは、1959年2月2日に旧ソ連のウラル山脈北部で起きた、若い男女9人がスノートレッキング中に不可解な死を遂げたという怪奇事件のことである。当時の調査によれば、この一行は気温が-30℃という極寒の中、テントを内側から引き裂いで裸足で外に飛び出した形跡があり、犠牲者の遺体の一部には眼球と舌を失い、頭蓋骨が損傷し、衣服から高い線量の放射能が検出された者もいたという。この事件には生還者が存在しないため、完全な迷宮入りとなっている。
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メンバーの詳細

この一行は、現在のウラル工科大学の在学生および、卒業生の男性8名・女性2名のメンバーから構成されている。

1. イーゴリ・アレクセーエヴィチ・ディアトロフ
性別:男性、年齢:当時23歳、誕生日:1936年1月13日
ウラル工科大学の卒業生であり、この一行のリーダーを務めていた。この事件の呼び名の由来となっている。

2. ジナイダ・アレクセーエヴナ・コルモゴロワ
性別:女性、年齢:当時22歳、誕生日:1937年1月12日
ウラル工科大学の在学生だった。

3. リュドミラ・アレクサンドロヴナ・ドゥビニナ
性別:女性、年齢:当時20歳、誕生日:1938年5月12日
ウラル工科大学の在学生だった。

4. アレクサンドル・セルゲーエヴィチ・コレヴァトフ
性別:男性、年齢:当時24歳、誕生日:1934年11月16日
ウラル工科大学の在学生だった。

5. ルステム・ウラジーミロヴィチ・スロボディン
性別:男性、年齢:当時23歳、誕生日:1936年1月11日
ウラル工科大学の卒業生だった。

6. ユーリー・アレクセーエヴィチ・クリヴォニシチェンコ
性別:男性、年齢:当時24歳、誕生日:1935年2月7日
ウラル工科大学の卒業生だった。

7. ユーリー・ニコラエヴィチ・ドロシェンコ
性別:男性、年齢:当時21歳、誕生日:1938年1月29日
ウラル工科大学の在学生だった。

8. ニコライ・ウラジーミロヴィチ・チボ=ブリニョーリ
性別:男性、年齢:当時23歳、誕生日:1935年7月5日
ウラル工科大学の卒業生だった。

9. セミョーン・アレクサンドロヴィチ・ゾロタリョフ
性別:男性、年齢:当時37歳、誕生日:1921年2月2日
ウラル工科大学の卒業生だった。

10. ユーリー・エフィモヴィチ・ユーディン
性別:男年、年齢:当時21歳、誕生日:1937年7月19日
ウラル工科大学の在学生であり、体調不良により途中で離脱したため、運良くこの事件に巻き込まれなかった。その後、2013年4月27日に亡くなっている。

事件発生までの流れ

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この一行は、旧ソ連のスヴェルドロフスク州内にあるウラル山脈北部において、スノートレッキングを計画していた。その最終的な目的地はオトルテン山に設定されており、このルートの難易度は極めて高いものだったが、メンバーには登山に熟知した者が多かったため、反対する者はいなかったという。

1月25日、この一行の乗った列車は、スヴェルドロフスク州北部の中心地イヴデリへと到着した。ここで彼らはトラックをチャーターし、イヴデリから約80kmほど北方にある有人集落のヴィジャイへと到着した。そして、1月27日、ヴィジャイからオトルテン山へ向け出発したものの、翌日にはメンバーの一人であるユーディンが、体調不良により途中で離脱している。

この時点で一行の人数は9人となり、これから先、彼らと出会った人間は存在しないため、これからの内容は、その後に見つかった日記やカメラに撮影された写真などをもとに推測されたものである。

1月31日、未開拓の原生林を北西方向に進んできた一行は、オトルテン山のふもとへと到着する。その翌日の2月1日、彼らはオトルテン山へと続く斜面を進んで行った。彼らは猛吹雪によって視界が苛まれたため、進行方向を見失い、当初のルートを大きく逸れてオトルテン山の南側にある、ホラート・シャフイル山へと登り始めていた。このホラート・シャフイル山はマンシ語で「死の山」を意味する、急斜面が続く山であり、途中で誤りに気づいた彼らは、約1.5kmほど下ったところにある斜面にキャンプを張り、一夜を越すことに決めた。

大規模な捜索活動

当初、一行が有人集落のヴィジャイに戻り次第、彼らのリーダーであるディアトロフが、彼が所属するスポーツクラブ宛に電報を送る手はずとなっていた。当初、2月12日までには電報が送られてくるだろうと予想されていたが、2月12日を過ぎてもディアトロフから電報が送られてくることはなく、2月20日に彼らの親族の要請により、ウラル工科大学の学生と教師からなる捜索隊が捜索を開始した。その後、軍と警察が捜索隊を結成し、ヘリコプターによる大規模な捜索活動が開始された。

2月26日、捜索隊がホラート・シャフイル山で酷く損傷したテントを発見した。このテントは内側から切り裂かれており、荷物は置き去りにされたままとなっていた。捜索隊はホラート・シャフイル山のふもと付近にある森林地帯でクリヴォニシチェンコとドロシェンコの二人の遺体を発見し、大きなヒマラヤスギとキャンプの間でディアトロフ、コルモゴロワ、スロボディンの三人の遺体を発見した。

それから約2ヵ月後の5月、大きなヒマラヤスギから森林地帯の方向へ、約75mほど先にある谷の中でドゥビニナ、コレヴァトフ、ブリニョーリ、ゾロタリョフの四人の遺体が、約4mの雪に埋もれているところを発見された。

遺体の状況

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2月26日に発見された5人の遺体は、その検死の結果、全員の死因が低体温症であることが判明した。クリヴォニシチェンコは、ほぼ下着姿の状態で発見されており、またスロボディンについては頭蓋骨から小さな亀裂が確認されたが、致命傷となるほどの傷には考えられなかった。

しかし、5月に発見された4人の遺体の検死の結果は、不可解なものだった。ブリニョーリは頭部に致命傷になったと考えられる、大きな怪我を負っており、ドゥビニナとゾロタリョフは肋骨を複雑骨折していた。おかしな点としては、ドゥビニナとゾロタリョフの遺体は外傷を負っておらず、あたかも外部から非常に強い圧力を加えられたかのような損傷の生じ方をしていたことである。またドゥビニナは眼球と舌が失われており、ゾロタリョフも舌を失っていた。

気温が-30℃という極寒の中、ほとんどの遺体が薄着だった。遺体の中には靴を履いていない者や片方の靴だけを履いていた者、また靴下だけを履いていた者がおり、先に亡くなったと思われる遺体の衣服を、脚に巻きつけている者もいたという。

この事件の不可解な点

この事件については、複数のジャーナリストや研究者などから、下記のような不可解な点が報告されている。
  • 当時、ホラート・シャフイル山には、一行以外の人間がいる様子は見つからなかった
  • テントに残された痕跡は、彼らが自らの意思によってテントから離れたことを示していた
  • 一部の犠牲者の衣服から、高い線量の放射能が検出された
  • 発表された検死の資料には、内臓器官の状態に関する情報が含まれていない
  • 犠牲者の葬式に出席した人物が、彼らの肌の色が「濃い茶褐色」に変色していたのを目撃したと報告している
  • 事件の前夜、ホラート・シャフイル山から南に約50kmほど離れた場所にいた別の一行が、ホラート・シャフイル山の上空で奇妙なオレンジ色の光を目撃したと報告している
  • 以前からホラート・シャフイル山の周辺には、軍が密かにその地を利用しているという噂が流れており、その噂を裏付けるような大量の金属の破片が見つかっている
  • 一行がテントを張った地は、バイコヌール宇宙基地と、旧ソ連が核実験場として使用していたノヴァヤゼムリャのチェルナヤ・グバの間に位置していた
  • テント内に残されていたカメラを現像したところ、最後の一枚には「光体」のような謎の物体が写っていた

その真相とは?

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この事件には生還者が存在しないため、現在では迷宮入りとなっており、その真相は不明である。そのため、犠牲者の遺体には不審な点が多く見つかっていること、また事件現場の周辺では以前から謎の光が目撃されたり、軍が密かにその地を利用していたなどの噂が存在していたことなどから、「宇宙人の仕業によるものではないか」、「軍が開発している、秘密兵器の実験に巻き込まれたのではないか」などの様々な憶測が飛び交っている。

現在、この事件を引き起こした原因として有力とされている説には、小規模な雪崩によるものがあり、それは「雪崩の被害に遭ったメンバーがパニックを起こし、死に繋がったのではないか」というものである。そのシナリオとしては下記の通りである。

雪崩による大量の雪がテントを飲み込み、それに驚いたメンバーがテントを切り裂き、余分な衣服や靴などを身に付けずに脱出した。氷点下の中で湿った雪に覆われた場合、人間は約15分以内の短い時間内に低体温症による意識喪失が起こるため、クリヴォニシチェンコ、ドロシェンコ、ディアトロフ、コルモゴロワ、スロボディンの五人は、そのまま大きな行動を起こすことなく、低体温症によって死亡した。

ドゥビニナ、コレヴァトフ、ブリニョーリ、ゾロタリョフの四人は、パニックを起こして逃げ回った際、誤って谷底へ落ちて死亡した。ブリニョーリが頭部を損傷し、ドゥビニナとゾロタリョフが肋骨を複雑骨折したのは、その時の滑落によるものである。

実際、事件前夜には大量の雪が降っており、テントは斜面に沿って張られていたため、雪崩の被害に遭う可能性は十分に考えられた。しかし、この雪崩による説では、一部の犠牲者の遺体から眼球や舌が失われていたこと、衣服から高い線量の放射能が検出されたことの原因については説明できていない。

極寒の中、一部の犠牲者の遺体がほぼ下着姿の状態で発見されていたり、ほとんどの遺体が靴をまともに履いていなかった原因については、「矛盾脱衣」という現象によるものと考えられる。これは恒温動物である人間は、急激な体温低下が起きた時、それを阻止するために体内から身体を温めようとする作用が働き、それがあたかも猛暑の中にいるような錯覚に陥らせ、衣服を脱いでしまうという現象である。実際、凍死者が裸の状態で発見されることは多いという。

また事件の前夜、別の一行がホラート・シャフイル山の上空で目撃したという奇妙な光は、1959年2月から3月にかけて複数の人物によって目撃されており、その正体についてはカザフスタン共和国のチュラタムにあるバイコヌール宇宙基地で行われた、R-7大陸間弾道ミサイルの発射実験によるものだと証明されている。

旧ソ連の捜索隊による、この事件の最終的な調査結果は「犠牲者の全員が、何らかの驚異的な自然の力によって死亡した」というものであり、「犯人は存在しない」という結論に至っている。

関連動画

この動画は、海外のゲーム会社「IMGN.PRO」が、この事件を題材にして製作したという、ホラーアドベンチャーゲーム「Kholat」のトレイラー映像である。ゲームでは、どのような結末が待っているのか、気になるところである。



管理人から一言

冬はコタツでのんびりするのが、一番なんです…。