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北海道全域と青森県の一部を通る、北海道旅客鉄道の石北本線にある全長507mの鉄道トンネル「常紋トンネル」。その名称は、このトンネルが北見市遠軽町にある、「常紋峠」の土中を通ることに由来している。1914年の開通当時、このトンネル付近では不可解な出来事が頻発したため、周辺に住む人々からは気味の悪い場所だと噂されていたという。そして、1968年5月16日に十勝沖地震が発生した際、一部の破損したトンネル壁面の中から一体の人骨が見つかった。その後、このトンネルの周辺から何体もの人骨が相次いで発見されたため、当時の過酷なタコ部屋労働の実態が明るみとなり、現在では日本有数の心霊スポットとして広く知られるようになった。
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「常紋トンネル」とは?

「常紋トンネル」とは、北海道全域と青森県の一部を通る、北海道旅客鉄道の石北本線にある全長507mの鉄道トンネルのことである。その名称は、このトンネルが北見市遠軽町にある、「常紋峠」の土中を通ることに由来している。

1914年の開通当時、このトンネル付近では「誰もいないはずなのに、トンネル内から人間のうめき声が聞こえる」、「トンネル内で全身血まみれの男性が現れる」、「このトンネル付近の駅に勤めた者は、必ずノイローゼになる」などの不可解な出来事が頻発していた。そのため、周辺に住む人々からは気味の悪い場所だと噂されており、地元の者は決して近づくことはなかったのだという。

1968年5月16日、マグニチュード7.9の大地震「十勝沖地震」が発生した際、このトンネルは老朽化が進んでいたこともあり、大きな損傷を負うことになった。そして、1970年に行われた改修工事において、一部の破損したトンネル壁面の中から頭部に損傷のある、一体の人骨が立ったままの状態で見つかった。

その後、1970年代にはこのトンネルの周辺で人骨などの発掘作業が何度か行われており、結果的に何体もの人骨が相次いで発見される事態となった。そのため、当時の過酷なタコ部屋労働の実態が明るみとなり、現在では日本有数の心霊スポットとして広く知られるようになった。

「タコ部屋労働」の実態

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この常紋トンネルは、1914年の開通までに約3年間もの期間を要しており、現在では「タコ部屋労働」によって建設されたものであることが、当時の記録などから判明している。

タコ部屋労働とは、主に戦前の北海道を中心として、身体的に拘束した労働者たちを非人道的な状況下で半強制的に酷使する、過酷な肉体労働のことである。タコ部屋労働では、労働者たちは「タコ」と呼ばれており、労働者たちを監禁した部屋は「タコ部屋」などと呼ばれていた。現在では、このタコ部屋労働は労働基準法の第5条によって禁止されている。

このトンネルの建設当時、タコ部屋労働を強いられた約100人以上の労働者たちは、過酷な重労働と栄養不足、睡眠不足などの原因により、多くの者がビタミン欠乏症などの病気を発症して倒れていったという。しかし、一度身体を壊した者でも、治療が行われることは決してなく、その限界を迎えるまで体罰を受け続けて労働を強いられ、死亡した者はそのまま現場に埋められたものと考えられている。

「人柱」という人身御供

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十勝沖地震の後に行われた改修工事の参加者の中には、「このトンネル壁面などに埋められた人骨は、無理やり『人柱』に立たされた人間のものなのではないか」という意見を口にする者もいたという。

人柱とは、古い時代から世界各地で確認されている人身御供の一種である。その内容とは、主に大規模な建築物を造る際、その建築物が災害などによって破壊されないように神へと祈願するため、建築物の内部やその周辺に人間を生贄として土中に埋めたり、水中に沈めたりするものだとされている。

しかし、基本的には人柱に立たされる人間は、生きたままの状態で生贄にされるため、この常紋トンネルから発見された人骨が実際に人柱に立たされた者であれば、死亡した後に埋められたのではなく、無理やり生き埋めにされた可能性が高い。

1980年、北見市の留辺蘂町にある金華駅の高台において、無念の死を遂げた労働者たちの功績を末永く後世に伝えるため、「常紋トンネル工事殉難者追悼碑」という慰霊碑が建てられた。現在、この慰霊碑については誰でも参拝することが可能となっている。

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管理人から一言

決して、供養以外の目的では行かないように…。