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「トミノの地獄」とは、1919年に出版された、詩人の西條八十による詩集「砂金」に収められている詩のことであり、この詩には「その詩を朗読すると、呪われて死んでしまう」という都市伝説が囁かれている。その詩の内容とは、「『トミノ』という名前の少年が、地獄を舞台に旅をする」という奇妙なものであり、この詩には「血を吐く」、「鞭で叩く」、「赤い留針」などの不気味な言葉が並べられている。一説では、「劇作家の寺山修司は、このトミノの地獄を朗読したために呪われて死んだのではないか」とも言われており、この詩には真偽不明の様々な憶測が飛び交っている。
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「トミノの地獄」とは?

「トミノの地獄」とは、1919年に出版された、詩人の西條八十による詩集「砂金」に収められている詩のことである。この詩には、2004年頃からインターネット上を中心として、「その詩を朗読すると、呪われて死んでしまう」という都市伝説が囁かれている。

その詩の内容とは、「『トミノ』という名前の幼い少年が、暗い地獄を舞台に一人で旅をする」という一見すると奇妙な内容となっている。この詩には「血を吐く」、「鞭で叩く」、「赤い留針」などの象徴的で意味深な言葉が並べられており、その解釈については様々な意見が挙げられている。

一説では、「劇作家の寺山修司は、このトミノの地獄を朗読したために呪われて死んだのではないか」とも言われている。それは1974年に公開された、寺山が監督・脚本を手掛けた日本映画「田園に死す」において、同じく寺山が作詞を手掛けた挿入歌「惜春鳥」の歌詞の内容がトミノの地獄に酷似しており、この詩から強い影響を受けていたものと考えられているためである。

その他にも、このトミノの地獄については真偽不明の様々な憶測が飛び交っているという。

「トミノの地獄」の全文

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この西條八十による、「トミノの地獄」という詩の全文は下記の通りである。

姉は血を吐く、妹(いもと)は火吐く、
可愛いトミノは宝玉(たま)を吐く。
ひとり地獄に落ちゆくトミノ、
地獄くらやみ花も無き。
鞭(むち)で叩くはトミノの姉か、
鞭の朱総(しゅぶさ)が気にかかる。
叩けや叩きやれ叩かずとても、
無間(むげん)地獄はひとつみち。
暗い地獄へ案内(あない)をたのむ、
金の羊に、鶯に。
皮の嚢(ふくろ)にやいくらほど入れよ、
無間地獄の旅支度。
春が来て候(そろ)林に谿(たに)に、
暗い地獄谷七曲り。
籠にや鶯、車にや羊、
可愛いトミノの眼にや涙。
啼けよ、鶯、林の雨に
妹恋しと声かぎり。
啼けば反響(こだま)が地獄にひびき、
狐牡丹の花がさく。
地獄七山七谿めぐる、
可愛いトミノのひとり旅。
地獄ござらばもて来てたもれ、
針の御山(おやま)の留針(とめばり)を。
赤い留針だてにはささぬ、
可愛いトミノのめじるしに。

その真相とは?

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まず、寺山修司が日本映画「田園に死す」の挿入歌「惜春鳥」を作詞した時期は、映画が公開された1974年頃だと考えられる。しかし、実際に寺山が死去したのは1983年5月4日のことであり、寺山の死因が「トミノの地獄」を朗読したことに関係していると仮定した場合、その間には約9年間もの開きがあるため、直接的な関係性があるとは考え難い。仮にトミノの地獄を朗読したことによって生まれた呪いの効果が、約9年後に表れたのだとした場合、そもそも「呪い」という言葉の定義自体が曖昧なものになってしまう。

また寺山は急死したのではなく、その死因は肝硬変で入院している際に腹膜炎を併発し、敗血症を発症したことにある。その原因は1955年の寺山がまだ19歳だった頃にネフローゼ症候群を患い、その後の長年の間、肝臓を悪くしていたことにあるとされている。そのことを裏付けるかのように死後の1983年5月9日に発売された、「読売ウイークリー」という週刊誌には、寺山の絶筆となった「墓場まで何マイル?」というエッセイが掲載されており、その中で寺山自身が「私は肝硬変で死ぬだろう。そのことだけは、はっきりしている」と記している。

現在、この「トミノの地獄を朗読すると、呪われて死んでしまう」という都市伝説については、2004年12月8日に出版された比較文学者の四方田犬彦による著書「心は転がる石のように--Papers 2003-2004」が出所だと考えられている。その著書の中において、四方田はトミノの地獄に対し、「万が一にも朗読などしてしまうと、あとで取り返しのつかない恐ろしいことが生じる」と記している。しかし、なぜ「恐ろしいことが生じる」のかについては一切説明がされておらず、その信憑性は皆無に等しい。

このトミノの地獄という詩については、そもそも西條八十が「象徴派の詩人」だったため、直接的ではなく、象徴的で意味深な言葉が並べられているのは当然なことであり、その解釈は読む者によって異なるため、恐ろしい内容だと受け取る人々が存在するのは不思議なことではない。この詩は西條が亡くなった父と妹に捧げたものであり、両者への思いを物語という形にして書かれたものだと考えられているが、詳しいことはわかっておらず、そのことが結果的にはこの都市伝説を日本全国へと広めてしまった一番の要因になっていると言えるだろう。

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管理人から一言

まず、漢字が全然読めません…。