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2005年5月23日に東京都の町田市で踏切事故に遭い、31歳の若さで亡くなるまで、1990年代のバブル崩壊後の日本社会を風刺的に描き続けた日本の画家「石田徹也」。彼が残した多くの絵画には、現代社会に渦巻く様々な苦悩や葛藤などが時には痛烈に、時にはユーモラスに描かれている。それらの絵画は見る者に大きな共感を呼んでおり、「現代社会を生きるとは、一体どういうことか」という疑問を抱かせるものとなっている。今回は、そんな海外からの評価も高い、石田徹也の絵画の世界を紹介する。
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石田徹也の生涯

1973年6月16日、石田徹也は静岡県の焼津市に四人兄弟の末子として生まれた。幼い頃から絵を描くことが好きな子供であり、保育所ではいつも先生から絵を描くための紙を何枚も貰っていたという。

1984年、石田徹也は小学校5年生の11歳の頃に静岡地方法務局が開催した、「人権マンガ」という小・中・高校生を対象とした漫画の賞において最優秀賞を受賞している。小学生時代の彼は、休み時間・授業中を問わず、教科書やノートの余白部分などに絵を描き続けていたという。

1989年、石田徹也は静岡県内の高校に入学する。もともと彼は美術系高校に入学したかったものの、両親からの強い要望を受けて普通高校に入学し、それから苦痛を感じながらも学校に通い続けていた。美術部には所属せず、一人で人物画などを描いていたという。

1992年、石田徹也は18歳の頃に上京し、武蔵野美術大学の視覚伝達デザイン学科に入学する。この頃、彼はアンゼルム・キーファーやフリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー、谷内六郎などの画集をよく見ていたという。

1996年、石田徹也は武蔵野美術大学を卒業した後、両親からの仕送りを断り、アルバイトをしながら創作活動を続けていた。その後、毎日デザイン賞、キリンコンテンポラリー・アワード、VOCA展2001奨励賞などいくつもの賞を受賞しており、数多くの個展を開いている。

2005年5月23日、東京都の町田市で踏切事故に遭い、死去。享年31歳だった。

石田徹也の画風

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石田徹也が残した多くの絵画には、現代社会に渦巻く様々な苦悩や葛藤などが時には痛烈に、時にはユーモラスに描かれている。また蒸気機関車やビニール袋、便器など日常生活の中に溢れているものが多用されており、どの絵画にも同じような顔つきをした青年が描かれている。その青年は彼自身に似ているものの、そのことを本人は否定している。

後期の作品では、初期の作品に比べてメッセージ性が抑制されており、抽象的な画風へと変化している。それは見る者にテーマを押し付けるのではなく、見る者がそれぞれに何かを感じ取ってくれるようにと試行錯誤した結果なのだという。

現在でも、それらの絵画は見る者に大きな共感を呼んでおり、「現代社会を生きるとは、一体どういうことか」という疑問を抱かせるものとなっている。

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管理人から一言

日本国内では、定期的に展覧会が行われているようです。興味のある方は是非。