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「アンコール・ワット」とは、12世紀前半のクメール王朝時代において、カンボジアの北西部にある都市シェムリアップにて建立された、アンコール遺跡を代表するヒンドゥー教寺院のことである。このアンコール・ワットは、1992年にはユネスコの世界遺産に登録されており、翌年の1993年には新しく制定されたカンボジアの国旗の中に、その祠堂が白色で描かれている。「アンコール」とはサンスクリット語で「王都」を意味しており、「ワット」とはクメール語で「寺院」を意味している。このアンコール・ワットは、美しく複雑な彫刻が特徴的な建物であり、クメール建築の傑作の一つともされている。
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アンコール・ワットの歴史

12世紀前半、クメール王朝時代のスーリヤヴァルマン2世の命により、現在のカンボジアの北西部にある都市シェムリアップにて、約30年もの長い歳月を費やしてアンコール・ワットが建立された。しかし、その後、プノンペンへと王都が移ると、アンコール・ワットはそのまま放棄されることになり、その存在は次第に人々から忘れられていった。

1431年頃、アユタヤ王朝の侵攻によってクメール帝国の首都アンコール・トムが陥落すると、アンコール・ワットの存在が発見されたことにより、再び人々の注目を集めるようになる。

1546年から1564年頃にかけて、アンチェン1世がアンコール・ワットの第一回廊北面の付近に複雑な彫刻を施し、その孫のソター王がアンコール・ワットを仏教寺院へと改修した。この時、本堂に安置されていたヒンドゥー教の神である、ヴィシュヌの像が、四体の仏像に置き換えられている。

1887年、カンボジアがフランスの領土となり、また1907年に現在のタイからアンコール・ワット付近の地域を奪還した際、フランス極東学院がアンコール・ワットの修復作業を行っている。

1972年、カンボジア国内で内戦が起きると、フランス極東学院はカンボジアから離れ、アンコール・ワットはクメール・ルージュというカンボジアの武装組織によって一部が破壊されることになった。この時、多くの仏像が首の部分を中心に砕かれており、そのほとんどが敷石となっている。

1992年には、カンボジア国内の内戦が収束するのに合わせて、アンコール・ワットはユネスコの世界遺産に登録されており、翌年の1993年には、新しく制定されたカンボジアの国旗の中にその祠堂が白色で描かれることになった。

現在では、内戦の時にアンコール・ワットの周辺にて大量に埋められていた地雷の撤去が進んでおり、世界各国の協力によってアンコール・ワットを後世に残すための修復作業が続けられている。

観光地としてのアンコール・ワット

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このアンコール・ワットは、カンボジアの北西部にある都市シェムリアップから北に約6.5kmほど離れたところにあり、現在のところ公共交通機関などは整備されていない。そのため、アンコール・ワットを含む、アンコール遺跡が広い範囲に点在している地域では、一般的にはタクシーを借り切って観光する人々が多いのだという。

また日の出の際に見るアンコール・ワットはとても美しいため、朝早くに訪れる人々も多い。興味のある方は、是非とも現地を訪れて、その壮大な建築美を目の当たりにしてみてはいかがだろうか。

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管理人から一言

うーん、何とか一度は訪れてみたいですね…。