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大物お笑いタレントの一人で、テレビ番組「笑っていいとも!」の司会者を務めていたことでも知られる人物、森田一義こと「タモリ」。今回は、そんな彼にまつわる伝説的なエピソードと奇妙な都市伝説を紹介する。
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白紙の紙を読み上げていた?赤塚不二夫への弔辞

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2008年8月7日、漫画「天才バカボン」の作者として知られる、漫画家・赤塚不二夫の告別式が開かれ、タモリが弔辞を読み上げた。この弔辞は、7分56秒にも及ぶものであり、最後は「私もあなたの数多くの作品の一つです」という言葉で締めくくられた。弔辞を読み上げる最中、タモリは手にしていた紙を何度も見ながら、時折声を震わせていた。

しかし、実際には「その紙は全くの『白紙』であり、何も書かれていなかった」という報道が一部のマスコミからなされた。後日、タモリ自身の説明によると「紙に書いて行こうと思っていたが、前の日に酒を飲んでしまい、自宅に帰ったら面倒臭くなった」、「赤塚さんならギャグで行こう」と白紙の紙を読むことになったそうである。

「あのマーク」のご利益?タモリの安産色紙

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出産を間近に控えた芸能人が、安産にご利益があるとして、タモリから安産色紙を貰い受けることがある。その安産色紙には、「安産」という文字の他に、女性器を表した「あのマーク」が書かれているらしい。

この話は、タモリが司会を務めていたテレビ番組「笑っていいとも!」のトークコーナー「テレフォンショッキング」において、「あのマーク」を書いたメモ用紙をタモリが女性ゲストに見せ、その反応を伺うというネタが元になっている。

ある時、妊娠中のゲストがそのメモ用紙を持ち帰り、出産後に再び出演した際、「あの落書きを持って帰ったおかげで、とっても安産でした」と語ったところ、妊娠中の知り合いや自分の嫁にと、「あのマーク」が書かれたメモ用紙を持ち帰る芸能人が続出したそうである。そして、そのメモ用紙を持ち帰った芸能人のお産が全て安産だったことから、今では「タモリさんの書くあのマークには、安産のご利益がある」と言われるようになったようだ。

きっかけはタモリの一言?卓球台の色が青になった理由

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これは2015年9月6日に放送されたバラエティ番組「この差って何ですか?」の中で、日本卓球株式会社の沼田一十三氏が語った内容によるもの。

1980年代後半、テレビ番組「笑っていいとも!」のトークコーナー「テレフォンショッキング」において、音楽家の織田哲郎が出演した際、タモリが「織田哲郎さんは学生時代に何をやってたの?」と質問した。織田が「卓球です」と答えたところ、タモリが「あれって根暗だよねー」という一言を放った。そのことが影響したのか、翌年の中学生の卓球部に入部する人数が激減するという事態が発生した。

その後、国民の卓球に対するイメージチェンジを図るため、日本卓球株式会社では製造している台の色の変更を行うことになった。そして、台の色はそれまで主流だった地味な印象を与える深緑色から清涼感溢れる青色へと変更された。その結果、1992年に行われたバルセロナ五輪では、日本発祥の青色の卓球台が使用され、その後多くの国際大会で青色の台が使われるようになっていった。

関連動画

この動画は、2008年8月7日に漫画家・赤塚不二夫の告別式でタモリが弔辞を読み上げた時の映像である。



管理人から一言

タモリさん、記事中で呼び捨てにして、スミマセン…。