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「般若心経」とは、正式名称「般若波羅蜜多心経」の略称であり、大乗仏教における「空」の思想を説いた経典のことである。この「般若」とは、一般的に広く知られている鬼女の能面とは全く関係なく、パーリ語で「智慧」を意味する、「パンニャー」という言葉を漢語へと音写したものだとされている。この般若心経は、西暦664年頃に中国の訳経僧である玄奘三蔵が、インドから持ち帰った膨大な量の経典を約600巻ほどの長大なものに漢訳した「大般若波羅蜜多経」のうち、空の概念に関する部分だけを抜粋して短くまとめたものである。日本国内では、仏教の各宗派である法相宗・天台宗・真言宗・禅宗などが般若心経を使用しているため、日常生活の中で耳にする機会は多いが、その意味を理解している者は少ない。
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「般若心経」とは?

「般若心経」とは、正式名称「般若波羅蜜多心経(サンスクリット語:プラジュニャーパーラミター・フリダヤ)」の略称であり、大乗仏教における「空(くう)」の思想を説いた経典のことである。この般若心経は、空という概念の重要性を説き、仏陀のように悟りの境地に達することを称えるものとなっている。

この「般若」とは、一般的に「嫉妬や怨念を宿した、恐ろしい女の顔」として広く知られている、鬼女の能面とは全く関係なく、パーリ語で「智慧(ちえ)」を意味する、「パンニャー」という言葉を漢語へと音写したものだとされている。この「智慧」とは、仏教の真理を理解し、正しい判断を行うために必要となる能力のことである。

この般若心経は、西暦664年頃に中国の訳経僧である玄奘三蔵が、インドから持ち帰った膨大な量の経典を約20年ほどの歳月をかけて、約600巻ほど(全部で約480万文字)の長大なものに漢訳した「大般若波羅蜜多経」のうち、空の概念に関する部分だけを抜粋して短くまとめたものである。この般若心経は、経題の「摩訶般若波羅蜜多心経」を含めて全部で276文字となっている。

日本国内では、仏教の各宗派である法相宗・天台宗・真言宗・禅宗などが般若心経を使用しているため、日常生活の中で耳にする機会は多く、また金縛りなどの霊障と呼ばれるような現象に遭った際に唱えると効果があるとも言われている。しかし、その意味を正しく理解している者は意外と少ない。

「般若心経」の漢訳

この「般若心経」を漢訳したものとは、下記の通りである。

摩訶般若波羅蜜多心経まかはんにゃはらみたしんぎょう

観自在菩薩かんじざいぼさつ 行深般若波羅蜜多時ぎょうじんはんにゃはらみったじ 照見五蘊皆空しょうけんごうんかいくう 度一切苦厄どいっさいくやく

舍利子しゃりし 色不異空しきふいくう 空不異色くうふいしき 色即是空しきそくぜくう 空即是色くうそくぜしき 受想行識亦復如是じゅそうぎょうしきやくぶにょぜ
舍利子しゃりし 是諸法空相ぜしょほうくうそう 不生不滅ふしょうふめつ 不垢不浄ふくふじょう 不増不減ふぞうふげん

是故空中ぜこくうちゅう 無色むしき 無受想行識むじゅそうぎょうしき 無眼耳鼻舌身意むげんにびぜっしんい 無色声香味触法むしきしょうこうみそくほう 無眼界むげんかい 乃至無意識界ないしむいしきかい 無無明むむみょう 亦無無明尽やくむむみょうじん 乃至無老死ないしむろうし 亦無老死尽やくむろうしじん 無苦集滅道むくしゅうめつどう 無智亦無得むちやくむとく 以無所得故いむしょとくこ 菩提薩埵ぼだいさった 依般若波羅蜜多故えはんにゃはらみったこ 心無罣礙しんむけいげ 無罣礙故むけいげこ 無有恐怖むうくふ 遠離一切顛倒夢想おんりいっさいてんどうむそう 究竟涅槃くきょうねはん 三世諸仏さんぜしょぶつ 依般若波羅蜜多故えはんにゃはらみったこ 得阿耨多羅三藐三菩提とくあのくたらさんみゃくさんぼだい

故知般若波羅蜜多こちはんにゃはらみった 是大神呪ぜだいじんしゅ 是大明呪ぜだいみょうしゅ 是無上呪ぜむじょうしゅ 是無等等呪ぜむとうどうしゅ 能除一切苦のうじょいっさいく 真実不虚しんじつふこ 故説般若波羅蜜多呪こせつはんにゃはらみったしゅ 即説呪曰そくせつしゅわつ 羯諦羯諦ぎゃていぎゃてい 波羅羯諦はらぎゃてい 波羅僧羯諦はらそうぎゃてい 菩提薩婆訶ぼじそわか 般若心経はんにゃしんぎょう

「般若心経」の現代訳

この「般若心経」を現代訳したものとは、下記の通りである。

偉大なる真実に目覚める知慧の教え

観世音菩薩(観音菩薩)は、真実に目覚める知慧の行(修行)を究め、身も心もみな空(無)であることを悟られ、一切の苦しみから救われる道を示された。

舎利弗(弟子)よ、形あるものは空であり、空か形あるものを構成している。従って感覚・思い・分別・認識は全て空なのだ。

舎利弗よ、この世の一切の真実の姿は全て空であって、生まれることもなく、亡くなることもなく、汚れもせず、清らかにもならず、増えもせず、減りもしない。

故に、空が構成する実相の世界では、形あるものは何もない。感覚・思い・分別・認識もない。そこには目・耳・鼻・舌・身体・心といった感覚器官もない。また形・声・香り・味わい・触覚・心の作用もない。

目に見える世界から、意識の世界まで何もない。無明(迷い)もなく、無明の尽きることもなく、老死もなく、老死の尽きることもない。苦も、苦の原因も、苦がなくなることも、苦をなくす道もない。教えを知ることもなく、悟りを得ることもない。

何も得ることがないということを、菩薩(修行者)は、真実に目覚める知慧によってあるがままに見ることができるから、心に障りがない。心に障りがないから、怖れることがない。従って、一切の迷いを離れて、心のやすらぎに至るのである。

三世(前世・現世・来世)の仏達も、真実に目覚める知慧によって、完全な悟りを成就されたのである。

故に、真実に目覚める知慧である「般若波羅密多」(偉大なる真理に目覚める知慧で安らぎの世界に至る)の教えは、大いなる霊力を持った言葉であり、明らかなる言葉であり、この上ない言葉であり、他に比類のない言葉である。

従って、一切の苦厄を除き、真実にして虚しさがない。そこで真実に目覚める知慧に至る呪文を説こう。

「行こう、行こう、真実の世界へ行こう。みんなで共に行き、仏の悟りを成就しよう」

「般若心経」の解釈

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この経典は物語形式のものとなっており、話し手は仏教の開祖である釈迦、聞き手は釈迦の十大弟子の一人である舎利弗、そして、物語の主人公は仏教における修行者の一人である観音菩薩となっている。

その物語の内容とは、観音菩薩が長年の厳しい修行の末、この世の全てのものは自分が見たり、聞いたり、嗅いだり、味わったり、触れたり、感じたりすることなどによって一時的に生じている、曖昧な「幻」のようなものであり、「この世の全てのものには、実体は存在しない」という悟りを開いたことが語られている。これは仏教における、「空」の思想のことである。しかし、具体的には「空」と「無」は同義ではなく、この空の思想では「無」すら「空」によって成り立つ現象の一つに過ぎないものとされている。

基本的には、仏教では霊魂の存在を否定してはいないものの、同時に認めてはおらず、その理由としてはこの空の思想が深く関係している。仏陀は輪廻転生を繰り返しているものは霊魂ではなく、自我に固執する人間の自意識そのものであるという結論に至っており、また仏陀は人間の深層心理の構造と輪廻転生の仕組みについて悟りを開いたものとされている。

つまり、仏陀が夢想した初期仏教とは、この世で生きることによって苦しんだり、傷ついたりしないために、「二度と生まれ変わらないこと」を目的として、自分という存在への執着心を捨て去ることにより、輪廻転生を繰り返す要因となる自意識を消滅させて、輪廻転生の輪から解脱するということなのである。

そのため、この空の思想は、その仏陀の思想を間接的にわかりやすい形で後世へと伝えていくために説かれた一つの教えだと解釈することができるのではないだろうか。

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管理人から一言

般若心経の解釈は、人によって大きく異なるので、悪しからず…。