「親殺しのパラドックス」とは、1943年に出版された、SF作家ルネ・バルジャベルの著書「軽はずみな旅行」の中で描かれている、タイムトラベルについてのパラドックスのことである。それは、「ある人物がタイムマシンに乗って過去へ戻り、祖母に出会う前の自分の祖父を殺してしまった場合、一体どうなってしまうのか?」というもの。
「親殺しのパラドックス」の詳細
ある人物がタイムマシンを利用して、自分が生まれる前の過去へと戻ったとする。そして、自分の祖父となる人物を探し出し、祖母に出会う前の段階で殺してしまったとする。この時、時間旅行者の両親のどちらかが生まれてこないことになり、結果としては本人も生まれてこないことになる。従って、存在しないはずの者が、時間を遡る旅行をできるはずがなく、祖父を殺すこともできないため、祖父は死なずに祖母と出会うことになる。そうすると、再び彼は生まれてくるということになるため、タイムトラベルをして祖父を殺すことになる…。このように堂々巡りになるという、論理的な矛盾が生じてしまうのである。
このパラドックスは、「タイムトラベルという、時間に逆行する行為自体が不可能である証拠」として挙げられることがある。しかし、世界の宇宙論者からは、このパラドックスを回避するための様々な仮説が唱えられている。
並行世界説
これは、「時間旅行者は元々自分がいた世界とは異なる、『別の世界』へ行っているのではないか」という説である。
「並行世界の集合体」というものが存在すると考えた場合、時間旅行者が祖父を殺したという事実は別の並行世界でのみ発生し、その世界では時間旅行者に対応する人物は存在しないため、問題が発生することはない。そして、彼が元々いた世界では何も起きていないため、矛盾は生じないというもの。
つまり、この考え方の場合、過去へのタイムトラベルが可能だとすれば、未来への複数の可能性が、「並行世界」として存在していることになる。これは、ある人物が過去に遡って、自分自身を殺す場合などにも当てはまり、「その人物が生きている未来」と「その人物が死んでいる未来」が、並行して別々の世界として存在しているということになる。
改変不可能説
これは、「時間旅行者が過去に遡って行う行為は、全て歴史の一部としてすでに織り込まれており、パラドックスとなるような行為は決して実行できないのではないか」という説である。
この仮説は、ロシアの宇宙論者イゴール・ノヴィコフによって提唱されたものであり、この考え方の場合、その歴史によって個人の行動が決定されるが、時間を遡るタイムトラベルが、パラドックスの危険を冒さずに可能となる。しかし、このような考え方は「決定論」とも呼ばれるものであり、人間が本来持っているとされる「自由意志」という観念とは正反対のものである。
自己修復能力説
これは、「時間線には自己修復能力があるのではないか」という説である。
例えば、時間旅行者が自国を悲惨な戦争へと導いた政治家を暗殺したとする。この場合、その政治家の周囲の者が、その暗殺を口実として戦争を起こしてしまい、結果としては戦争が起きてしまう。また時間旅行者が、自分の恋人を「交通事故に遭って死んでしまう」という事実から守ったとした場合、別の原因(階段を踏み外したり、流れ弾に当たるなど)により、結果としては必ずその恋人が死んでしまうというものである。
宇宙消滅説
これは、「パラドックスを生じさせると、その瞬間に宇宙、あるいは時空間の一部が消滅するのではないか」という説である。このような考え方から、「この先、タイムマシンを真剣に開発しようとしてはならない」という主張を持つ人々が、世界には多数存在する。
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管理人から一言
宇宙が消滅しちゃうっていうのは、ちょっと困るんです…。