
「ツタンカーメンの呪い」とは、1922年11月4日にイギリス人の考古学者ハワード・カーター率いる調査隊が、エジプトにある王家の谷にて古代エジプトにおける第18王朝のファラオである、ツタンカーメンの墓を発見したことに端を発するとされる呪いのことである。ツタンカーメンの墓が発見されてから約5ヶ月後の1923年4月5日、カーターに資金提供を行っていたカーナヴォン卿が急死したことを皮切りとして、この呪いにより、1930年までにツタンカーメンの墓の発掘作業に携わった調査隊のメンバーのうち、合計で20人以上もの人々が亡くなったものとされている。この呪いは、別名「ファラオの呪い」とも呼ばれている。